はだしのぼくに、ビーチサンダル/u.w.

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2015.08.05 Wednesday ... - / -
#あぶれる
 結婚が素晴しいと人は言う。好きな人とずっと一緒にいられるから、世界が家族だと認めてくれるから、と。

 わたしにも、その素晴らしさはわかる。だけど、幸せな結婚をおめでとうと祝福しつつ、そこからあぶれる人々のことを考えずにはいられない。
 いくら好き同士でも、法律上結婚が認めらない人々が、今この日本で、そして世界にどれだけいるだろう。ずっと一緒に暮らしていこうね、と約束しても、家族として世界に認めてもらえない人々はどれだけいるだろう。

 普通に生活していたら、「ふつう」の人は気がつかない。でも、人が気づかなくても、きちんと存在して、息をして、生活をしている人々。みんなのいう「当たり前」だとか「幸せ」を横目にみつつ、自分たちにはなぜ、その「当たり前」の「幸せ」が認められないのだろうと感じる人々。なかには声を上げる人もいれば、静かに生活していく人もいる。みんな、なにかしらのみこんでいる。声にならない本心があって、みんなどこかでそれを抑えている。

 もちろん、結婚する、しないは自由だ。それを選択するのはひとりひとりの問題。でも、この選択肢は、すべての人に平等に与えられているわけではなくて、「ふつう」の人々しかもちえない選択肢だ。あぶれた人々には、愛する人との結婚は、選びたくても選べぬ道。そういうことを、考えたことがある人は、どれだけいるだろう。

 日本の外では、結婚やパートナーシップのあり方が、どんどん見直されてきている。同性同士の結婚が合法化されたりして、長年の夢をかなえる人々がでてきている。ようやく、「ふつう」の人と同じように「選択肢」がもてるようになった人が、「ふつう」のこととして結婚を選んだり、選ばなかったりできるようになった。それこそ喜ばしいことだとわたしは思う。結婚が、男女のみが享受できるものではなく、すべての人に平等に与えられる幸せとなればいいと思っている。

 それでも、それに反対するひとも数多くいるわけで。その人々の多くは、なにをもって反対するのかわたしには理解できない。法が変わっても、反対する人は、それによってなにか被害を受けるわけではないのだし、損をする人はいないのだもの。法が変わることで、「当たり前」の権利として認められる人が増えるだけのことなのに。
 でも、それが議論されるだけ、まだましではある。議論もされず、気付かれもせず、路傍の石のように大多数の無意識によって蹴り飛ばされ、摩耗させられ、そのまま忘れ去られてしまうのが一番悲しい。そういう人々にも、こころがあって、生活があって、人生があるのに。そもそも、その人々だって「ふつう」の人々と、何一つ変わらないのに。

 わたしが結婚について考えるとき、どうしてもそういうことを考えてしまう。幸せな結婚を選んだ人を恨むのでもなく、批判するでもなく、喧嘩を売っているわけでもない。ただ、幸せな結婚を、より多くの人が選べるようになればいい、と、こころからそう思っているだけのことなんです。だって、どんな人の幸せだって、両手をあげて祝福したいじゃないですか。笑顔で、おめでとうって、こころから言いたいじゃないですか。
2012.05.18 Friday ... comments(0) / -
#逃避行
 ここ数日、落ち着かない。こころが、どこか遠くへ、遠くへと行こうとする。日本を離れたい、そういう気持ちがむくむくと大きくなっていて、いや、でも、どこへ行こう。
 ブラジルに戻って、なにか仕事を始めようか、いや、いますぐそんなことはできない。つれはポルトガル語も、英語も話せない。ふたりで食べていくためには、きちんとした職が必要だ。でも、いまのわたしにブラジルですぐに職がみつかるだろうか。それに、まだ解決できていない問題がたくさんある。カフェの仕事もあるし、なにもかも中途半端なままだ。いま、外には出て行かれない。だけど、こころが帰ってこない。どこか、遠くへ、遠くへと旅をしたがっている。

 私が生まれた街、Bragança Paulistaという街が、サンパウロ州にある。その街で暮らしたことはないのだけれど、その街の中心街が、頭から離れない。
 丘の上に、綺麗な礼拝堂と広場があって、そのまわりは一帯が石畳の街並。大きな樹が、地面に光と影の濃いコントラストを作りだしていて、そこだけまったく別世界のような美しさが広がっている。その広場から、商店街へとつながっていく。坂道に並ぶ、いくつもの店、多くの人が行き交う。サングラスに、薄着の女性、短パンの青年、スーツ姿のサラリーマン、シスター、手をつないで歩く老夫婦、手持ち無沙汰な警察官、家を持たないホームレス、乞食。ブラジルの雑踏、風のそよぎ、笑い声。街の記憶が風と一緒に、わたしの頬をうちつける。
 かえりたい。
 なぜ急にこんなに帰りたい気持ちになったのだろう。先日、文章を書くために記憶を掘り起こしてきて以来、どうやらわたしのこころはブラジルに帰ったきりになっているようだ。連れて帰ってこなくちゃ思いつつ、連れて帰ってきたくない。

 もしかしたら、わたしはまた戻るかもしれない。あの日差しと影に肌を染めるそのためだけに、帰ってしまうかもしれない。そのときは、ひとりでなく、ふたりで。これは、逃避行になるのだろうか。わたしたちは、このさき、どこへ行くのだろう。明日のじぶんが、どこにいるかさえわたしにはわからないよ。


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2012.05.15 Tuesday ... comments(0) / -
#きいろいひかり
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 気づけば、五月も半ばを過ぎようとしている。日々の生活を、たんたんとこなしながら、身のまわりや、心境の変化とうまく折り合いをつけようとしています。

 あたたかくなって、冬の悲しい気持ちから嘘のように脱皮して、今はのびのびと生活している。暢気なことは言えない状況はまだ続いているのものの、少し気持ちの余裕がでてきたのも事実。この二ヶ月くらいの間、いろんな経験をしたこともあって、少しずつ自信がもてるようになってきた。それだけじゃなく、生きるということに対して、前よりも肩の力を抜いて考えられるようになってきた、と思う。
 四月には、目の前でいくつかの命が失われていくのを目撃して、こころにぽかんと穴があいたような気がしていた。でも、生きている以上、生死は表裏一体、避けることが出来ない唯一の決定事項。そのことを、再認識して、じぶんは命を全うできるよう、一生懸命、楽しく生きようと強く決意できた月でもあった。わたしにとっても、そしてつれにとっても大事なひと月だったことに変わりはないし、この先も何度も何度も思い出すことになるひと月だったと思う。
 滋賀に越してきてから、もうすぐで半年になる。その間、いろんなことが起こりすぎて、まだ少し混乱気味。だけど、少しずつ初夏に近づいていくこの空気感だとか、朝日のまぶしさとか、午後のきいろい光などがあまりに心地よくて、どうでもいいかって思ったりもして。ぼちぼち、そして適当に生きていけばいっか、と思うことも増えてきた。あまりに真剣になりすぎて、肩がつまるより、ほんわりしていればきっと、道は開けてくると前向きに生きています。

 たまに、琵琶湖の中湖でつりをしたりするのも、楽しいよ。



 
 追記:
 “apartment”というところで、文章を書かせていただいています。たくさんの人々が集まって、ひとつのものを作ろうとしているのがとても素敵なところです。是非、覗いてみて下さい。

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2012.05.14 Monday ... comments(0) / -
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